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観客批評
観客アンケートから
(名称はイニシャル表記にさせていただきました)
(9月24日ソワレ観劇 O 20歳 学生)
とにかく。
面白かった。
美しかった。
繊細だった。
荒々しかった。
胸が苦しくなった。
痛々しかった。
気持ち良かった。
泣きたくなった。
死にたくなった。
消えたくなった。
でも生きていたいと思った。
ああ!陳腐な言葉しか思い付かない(泣)。違うんです、私が感じたモノは、こんな表現なんか
じゃ絶対に伝わらないんです!!もっと力強い何かがあの舞台には確かにあって、私の中を
かき乱していったんです。心にガリガリ引っ掻き傷を残していったんです。この感覚は、「すご
い」とか「面白い」なんて言葉じゃ確実に形容しきれません。もっと、何ていうか、「言葉での表
現を超越した表現」というか…。
…何だか書きながら意味がわからなくなってきました。考えれば考えるほど、精神と思考の深
みにハマッていく気がします…。5年後とか10年後に、もう一度見てみたいです。今回とは違う
発見が、まだまだたくさんありそうなので…。
(9月23日ソワレ観劇 無記入)
鳥肌が立ちました。
「お前が死にたいと思った今日は、昨日死んだ奴が生きたいと思った明日なんだ」というのを
思い出しました。
(9月24日マチネー観劇 N 女性)
面をつけた女たちが私でした。
服を脱ぐ二人のもがく男が私でした。
面をはいだあえぎ訴える女たちが私でした。
現代社会の利便性の追及の果てに、人は隠しようのない表現されてしかるべき自己の在り方
を波にのまれている、文明社会での自己による自己の表現が苦しいと訴え心が共感しました。
人は一人では生きられない、それは真実であります。
しかしながら人間は生まれ、死ぬまでやはり一人であるというのが私の思うところです。社会の
ひずみ、インターネットの常識、サイトで自己を表現し、吐き出し、結果自分自身がからっぽ、う
つろになり「死に体」として自分を認識したいと願う切なさ。
もがく、おぼれる、苦しむ、火を呑む雨に冒された体、自分の部屋―カオス。
内へ内へと入りゆく人々、それが現代に生きる人の実体でありましょう。
久々に自分自身が観客であるということを忘れ、舞台に引きずり込まれた感じです。
語彙の少なさに感想を表現しきれないのが残念です。
一人一人の身体づくりがしっかりなされていること、素晴らしいことです。
(9月22日観劇 S 19歳 女性 学生)
最初の印象…不思議なカンジ、仮面がボーっと浮き出してきたようで、ちょっと怖かった。
パワーがあった。言葉のリズムが良かった。
最後の方は感動して泣きそうになった。
静かだったけど、パワーがひしひしと伝わった。また観たい。
(9月22日観劇 K 女性)
とても良かったです。
ラストの塊になって皆が手首を切ろうとしているところ、可哀相で泣けました。
苦しんでいる姿は、自分のようでもあり、自分の大切な人達のようでもあって、とってもかなしか
った。とても良く知っている感情だったので。
けれどしっかり形として観せて頂いたので、さっぱりとしました。
爽快感があります。
(9月23日マチネー観劇 Y 女性)
独特な表現方法だと思った。
私の観劇体験の中では今までになかった。
出演者の方々の肉体がしっかりと訓練されていて
それだけでも観た価値があった。
丸くて黒い負のカタマリだったなあ。
なんか客席じゃないところに座っちゃったみたいだ。
(9月23日ソワレ観劇 M 24歳 女性 役者)
身体能力とせりふの強さがすごいですね!
動きがきれいでした。
自分の心の中にあるものを全部言われた気がして
ぽっかり穴があいた感じになりました。
とても面白かったです。
(9月23日ソワレ観劇 K 25歳 男性 学生)
このような抽象的な演劇を見たのは初めてでした。共感するところが多々ありました。奇妙な
踊りがだんだんと美しく感じるようになりました。
自殺をテーマにした場合、生きていれば何かいいことがあるかのような安易な説教くさいもの
にならないところがとてもよかったです。高校生の頃、「完全自殺マニュアル」を買って読んだこ
とをふと思い出しました。言葉の羅列とダンスと音楽が胸に迫りました。
アンチゴネーの物語とネットの書き込みの関連性が私にはわかりませんでしたが、全体的に
は素晴らしいと思いました。自分なりの解釈としては自殺の疑似体験なのではないかと思いま
した。
(9月23日ソワレ観劇 E 20歳 女性 学生)
「死にたいあなた」と言われた時、鳥肌と前から来るものに圧倒されました。
色々なことを感じ取りたい感じにおそわれました。
(9月24日マチネー観劇 N 20歳 男性)
仮面がしだいに本物の"顔"に見えてきた。
最後に仮面をはずしたが、彼女達の本意ではない様に思えた。
音も光も同じ呼吸をしていて、見ているこちらも引き込まれてしまう。見ているハズの自分が見
られている立場に立たされる。見ているのか、見られているのか。
他の作品と違い、現実に飛びかっている膨大な言葉を入り口に"人"の本質に入っていく。見て
いて、自分も何か(発語+舞台にいなくてはという感覚)をしなくてはという気持ちに駆り立てら
れた。
(9月24日マチネー観劇 I 女性)
見ていて、どんどん不快な気持ちに、イヤな気持ちになっていって、体がもぞもぞ(・・・・)した。
でも、それはこの"アンチゴネー"の世界にまんまとハマッてしまってるんだな、と思った。会話
よりも、人間の身体表現や仕草を徹底して、人間感が出てた。
女性や男性が性別をこえて、人間という生き物に見えた。
(9月24日ソワレ観劇 S 38歳 女性)
心の闇からの叫び、繊細で洗練されたアート。
(9月24日ソワレ観劇 S 40歳 女性)
すごかった!!怖い。
(9月24日ソワレ観劇 K 24歳 女性 フリーター)
すごくむずかしかった。奥が深いのであと2〜3回見たいと思いました。
(9月24日ソワレ観劇 K 29歳 男性 パートタイマー)
短い文章で感想を述べるのはとても難しいのですが、過去においても現代においても、人の持
つ暗い部分は存在し、それらが顕在化された作品だった気がします。
血には人々の様々な思い出すことのない記憶を持って受け継がれていくのでしょうね。良い作
品でした。
(9月22日観劇 T 女性)
台詞は少なく静かな印象を抱いたハズなのに、実際、舞台を思い返すと、激しく熱の籠もった
役者の表情ばかりでした。仮面を付けたOL、淡々と喋り続けるキータイプの音声が、ありえる
わけがないのに逆にリアルに感じて、鳥肌が立ちました。自殺願望者とか、そう言ったサイトが
増え続けている中で、現代の私達が思い描く世界が、この様に仮面を付けた私達だったら
…・。
手を使わずに服を脱ぐ。後日、実際にやってみました(笑)。何分経っても上着一つ抜けず、や
っとの思いで一つ脱いでもズボンは断念…・・。手を使えば簡単に脱げるんですが、このはが
ゆさが…・心理描写…・??
エロくてグロくて静かで激しくて、非現実的でリアルで。そんな矛盾を感じた奥の深い作品でし
た。
(9月22日観劇 O 女性)
あのテーマは、まさに今の日本ですよね。きっと、みんな何処かで耳をふさいでいる事のように
思えます。ネット社会の今、そこから読み取れる事も増えて来ました。消えたい、壊したい、消
したい、死にたい。渦巻く感情の中で一番知って欲しい事は、気付いて欲しい…・それだけなん
ですよね。
一番最後の「誰か、どうか私を、見つけてください」って言葉が、凄く耳に残っています。本当に
消えたい人は何も言わずに消えてしまいます。何だか数年前の自分を思い出しました。帰宅し
てから色々と一人で考えていましたが、それがまた楽しかったです。
男の人が着込んだ服を必死で脱ぐシーン、なんだか面白くて笑ってしまいました。
観て良かったと思いました。
(9月24日ソワレ観劇 K 女性)
まず最初に思ったのは「…え?」。色んな意味でタイムリーな話題だったので…。仮面の気味
悪さに少しぞっとした。そのうちに引き込まれていった。キレイだと思った。すごくキレイだった。
チャット、カキコの会話やリスカする女の子たちの描写、行動、言葉、どんどん自分の中には
入ってきては、波の様にザァッと下がっていく。キレイだった。見たことのある光景、聞いたこと
のある叫びが有った。キズついた左手を見つめるときの目、「やだやだやだやだ」、 自分にい
い聞かす言葉も…リアルだった。的確に表されていたように思う。
最後、アンチゴネーの語り(?)になった時には、私は身を乗出す様に舞台を見ていた。一瞬で
も一言でも逃さないようにとしていたのか……。全身が舞台に集中していたようだった。
この舞台に私は過去をみた。其処に居たのは14、5の頃のあたしだった。そして、今の私は其
処には居なかった。今の私の気持ちはあの頃のものとは違っている。そのことを実感した。周
りの環境が、少しの変化が凍った心を救う。
私はこの舞台、好きです。少しキズやなイタイ所もあるけれど、目を反らすことは許されない現
実だと思うから。なんだかよくは分からないけど感じとれた何かは暖かいものの様な気がす
る。
(9月24日ソワレ観劇 M 女性 学生)
いろんな意味で面白かったです。
第一印象は「体」でした。ものすごく体を使った身振りにはすごく刺激を受けました。コトバの糸
をほどいてゆくような…・そんな感じにも見えました。オープニングのカタカタという音も、心が少
しずつ崩れてゆくような…・暗闇に浮かぶ仮面の不気味さ。確かに人は仮面を取っても、まだ
仮面なんだと思いました。本物の顔、自分は?と問われても…・・、判らない。自分だけしか解
らない。でも、自分も本当は解っていないのかもしれない。そもそも、本当の自分って何?はた
してそんなものあるのか?全部、自分じゃないの?…・って考え出すときりがない。
あと、やっぱり〈声〉がしっかりしているなと感じました。さすがファリファリ(Fメソッド)の力だなあ
…・、と。
放送禁止用語もザクザク出てきて…(汗)。こんなものがネット上で、しかも顔も知らない人間
同士、あったかみも何も感じない、冷たい画面の上でこんな風に繰り広げられているのかと思
うと、ぞっとした反面、ほっておけないと感じました。自殺サイトみたいな。。。何を求めて集まっ
てくるのだろう?
「死にたい」と思ったこと、たくさんあるけど、それを実行した事は…・一回だけある、中学一年
の時。いろいろあって親とケンカし…もう嫌になって死にたいと思った。カッターで手首切っ
た。。。。涙で血がにじんで見えた。けれど、私にはそんな勇気、なんてなかった。もちろん、痛
いし、辛いし、何よりも「死にたく」なかった。でも、今考えると、本当バカだなあと思うし、もちろ
ん笑い話であるけど(笑)。
こういう現代の病気みたいなモノをテーマにするというのは、すごく大変だし、勇気がいると思っ
た。でも、今の世の中は、キレイなものばかり出してきて、根っこにはびこる汚れたモノをやた
らと隠す。
前、リストカットしてしまう友達がいた。その子は「死ぬために切るんじゃない、生きるために切
るんだ」と言っていた。「切ると落ち着く」「血を見ると落ち着く」。あいにく私はそれでは生きるこ
とも、落ち着くことも出来ないので、気持ちがわからなかった。何が彼女たちをあんな風にさせ
たのか?友達?学校?親?悩み事?…嫌いな事?それとも自分?せっかくこの世に生を生
まれてきた、その命、粗末にするもんじゃない。当たり前だ。
でも、毎年毎年、この日本では、たくさんの人たちが自分の命を絶つ。中には死にたくなくても
やむを得なかった人もいるだろうけど。けれど、彼女たちは、死ぬことでしか生きられないの
か?止める事の出来ない想いなのか?よく解らない。人間ってほんとに不思議な生き物だ。
自殺の話はここら辺にして…・(汗)。
あの、服を手を使わずに脱ごうと必死になっていたお兄さんの息づかいや汗。スピーカーから
ではなく、役者の体から出された声がその劇場の空気を振動させ、私の耳の鼓膜に伝わって
きて…・っていう、生きている者同士のやりとり。"今"という一瞬で、過ぎ去ってしまうものという
時を生きている者同士の特権だと改めて感じる。ほんとうにそういうもの(・・)を大切にしたいと
思いました。言葉では上手く言い表せないけど。それがなかったら、TVドラマや映画とは一緒
だ。同じ芝居だけど、ドラマや映画にはないモノ(・・)がある。だから自分は舞台に立つ。
『アンチゴネー/血』を観て、解らなかった所の方が多かったけど、観終わった後、コトバの群れ
が頭の中でスパイラルしていました(笑)。
パソコン、カタカタ…のシーン、ビックリしたけど、もっと次になにが出てくるんだろう!?とワク
ワク&ドキドキしながら観てました。
所々、笑えるシーンとか面白い所があったのに笑えなかったのが残念でした。だって、周り見
たら、みんな超まじめな顔で見てるんですもん(笑)
吉田健二(シアターファクトリーメンバー)
人間の正体をさぐるにはその人個人の真実を探さなくてはならない。だがそれはくもの糸をた
どるように、ごくごく繊細な作業なのだろうと思う(人生というものがこれにあたるのではない
か?)。人は長い時間をかけてあらゆることを知り、覚え、忘れる。最低限必要な物だけを残
し、どうでもいいことを都合のいい解釈にまかせたりする。
人にはたぶん自然と真実から遠ざかろうとする本能があるのではないか、と私は思う。都合の
いいことだけを覚えていくのは、そうしないと人間、破裂してしまうからだ。自分の中の正体の
部分がどんどんふくらんで、いつしか真実に押しつぶされてしまう。いわゆる精神や心に押しつ
ぶされる(もっとかんたんに言えばストレス)ゆえに逃げる。自殺、あるいは他人をこわす、自分
が壊れないように自分が壊れる前に自分を壊す、あるいは他人を壊すことでなんとか満足する
(掲示板の悪口など)。だが私は自殺や心中が妙に当たり前のように思える時がある。不幸と
いうものはいったいどこから始まるものなのだろうか?例えば幸せな少年と幸せな少女が楽し
く金持ちに暮らしました、という話では物語のスパイラルが起きにくい。そのどちらかがある時、
あるいは生まれた時から不幸でなければ(?)。個人の真実に近づくためには対象的に鏡に映
る闇の部分に目をそむけてはいけないのだと思う。自身の中身と向き合い吐き出すことが、そ
してなにより体を感じるということ、指先、髪の毛、つめ、舌の先、すね毛にいたるまで感じてみ
ることで、初めて地面に足がついているのを意識できるのではないだろうか。自殺をする人間
はおそらく暗い闇の部分に押しつぶされ、今ある真実の現実に耐えられなくなってしまったんじ
ゃないかと思った。
そう思った時、心が死を選択したことに妙に納得できるような気がした。夢を見ないかわりに現
実で見られる最後の夢がつきつめてゆくと死というものにぶちあたるのだなあ、と思った。それ
は夢ではなく、幻想かも知れないが。
私には最初の仮面5人が地味に見えた(あくまで最初)。特に何の色付けもない仮面とOLの制
服。正直、少し安易に思えたのだが、水が沸騰するようにそれぞれがそれぞれ違う内面をの
ぞかせてきた。しかもそれは無表情な仮面全体をゆがめてしまうほど(そのように見えた)。そ
こには仮面の真実のスタイルが確立していたように思う。嘘のない真実がどうにもいてもたって
もいられなくないような気持ちにさせられた(もしかしたら恐怖、畏れといった感情に近いものだ
ったのかも)。大きなエネルギーの塊をぶつけられ、不可思議な元気が沸いてきたのも不思議
だった。とにかくあの空間にはきわめて役者と観客という距離が感じられなかった。全体が1で
あり、またたくさんの1が組み合わさってパズルのような1を形成していた。
若林則夫(シアターファクトリーメンバー)、9月22日観劇
この劇は、日本の「いたこ」が、2500年前のギリシャの霊魂を日本に呼び寄せ病んだ目本に、
救いを求め、時空を越えた儀式の壮大なドラマでした。
われわれ人間は、人生の節目や受け入れがたいことがあると、作法の究極の形である儀式を
するといわれています。現実ばかりでは、深い話はできません。しかし、非現実の世界ではあ
やうすぎます。近代になると儀式が形骸化し、ハレの日と日常の区別がつかなくなりました。心
と物質、現実と非現実の境界もあいまいになりました。ケジメと杜会常識の作法に欠けるとも
言われます。受け入れがたい現状は、儀式によって癒されて、改革できる。私はこの劇を観
て、今こそ、真面目な儀式の有効性を感じます。服を切り裂く女が巫女で、女2人のセリフの言
霊で口寄せして、霊魂を呼び戻す「いたこ」の儀式に感じました。
舞台の幕開きは、どんなシーンの趣向で始まるのか楽しみにしていましたが、キーボードの無
機質の音と、制服で仮面をつけたOLのオペレータは怖かった。最初の掴みで引き込まれまし
た、これから一体何が起こるのかワクワクしました。仮面は心理を雄弁に語ってくれました。終
盤に席を立った仮面が集まって、観客に向かって素顔ですごんでみせた演技は、更に怖さを
感じました。これから起こる復讐をいやでも想像してしまいました。
2部の男が服を脱ぐことが、劇を見ているときはよく分からなかったけれど、何回も流れを思い
浮かべているうちに、あのシーンはきっと、脱皮するには呻吟することが不可欠で、悩まないこ
とには本当の解決が見つからない。大いに苦しむ必要があるのだ。服を脱ごうとする男の懸命
さは哀しいけれど、どこかユーモアーが滲んでいました。スーツの男の「ウンコ談義」は、笑って
しまいました。意外性があって、流れをすっかり独り占めしてしまいました。存在感ありました。
もっともっと聞いていたかった。生きていくには、「ウンコ」に象徴された動物的身体って大事
で。テーマが大変刺激的でした。
3部の「交信」は、本音を語り合って仲間と連携を取り合う、セリフの交換が闊達に行われて
いたのだが、この声が客席に届いてこなかったのがちょっと残念でした。
4部は、制服を切り裂く女が、切り裂いた布切れを、男達にくべて狼煙を上げ、反撃
の儀式を開始していく。巫女の神託は2500年前の言霊と少しも変わらない。ギリシャ劇の光
り輝くせりふと、価値観の普遍性には驚かされました。


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